退職の引き止めは、条件を上げる交渉ではありません。
期間の定めのない雇用では、社員は2週間前に申し入れれば辞められます。民法第627条の定めです。大阪労働局も、会社の同意がなければ退職できないものではない、と案内しています。
つまり、社長に「辞めさせない」力はありません。残っているのは、本人にもう一度選び直してもらう機会だけです。その機会を活かせるかどうかは、最初の面談で何を聞くかで決まると考えています。
代表の三宮は、作業療法士として23年間、急性期医療の現場に立ってきました。見続けてきたのは「人が働き続けられる条件」です。株式会社DIALOG(2026年5月設立)は、その知見をもとに中小企業の採用・定着を支援しています。健康経営と採用設計の両面から手を打つのが、私たちのやり方です。
この記事の要点
- 申し出の日に最初に聞くのは条件ではなく「何があったか」。社員は2週間で辞められる
- 引き止めの前に、理由を「会社が変えられる条件」「本人の事情」「すでに決まった転職」の3つに分ける
- 「介護で辞める」と言われたら、会社には制度を個別に知らせ、利用の意向を確かめる義務がある
申し出の日に聞くのは「何があったか」。条件の話はその後
申し出を受けた日に、最初に聞くのは条件ではなく出来事です。
退職の申し出は、たいてい「一身上の都合で」の一言で始まります。国の調査でも、辞めた理由の最多は「その他の個人的理由」で、会社から中身が見えにくいことは退職面談の記事で整理しました。
そこで、申し出の日の面談では次の順に聞きます。「何があったか、もう少し聞かせてほしい」。「いつ頃から考えていたか」。「会社が何か変えられたら、選択肢は変わるか」。条件の提示は、この3つを聞いたあとです。
申し出の日に、社長が押さえておく3つの数字
出典:厚生労働省 スタートアップ労働条件Q&A、「育児・介護休業法のあらまし」、「令和6年 雇用動向調査結果の概況」付属統計表3-1
2週間は、短いようで、選び直しの材料を並べるには足りる時間です。ただし、最初の面談で理由を取り違えると、残りの日数は引き継ぎの段取りで終わります。
23年の臨床で、私は「もう続けられない」と仕事を離れる患者さんを何人も担当してきました。観察してきた限り、その人たちは続けたくないわけではありませんでした。職場に迷惑をかけたくない。また同じ症状が出るのが怖い。その気持ちが、続けたい気持ちより前に立っていました。
こうした事情は、聞かれなければ出てきません。だからこそ、引き止めの面談は説得ではなく、聞き直しから始めます。なお、退職が決まったあとの理由の聞き取りは、引き止めとは別の日に行うほうが本音が出やすいと考えています。その手順も退職面談の記事にまとめました。
理由を3つに分けると、使える手が決まる
聞き出した理由は、まず3つの箱に分けます。箱によって、引き止めが届くかどうかが変わるからです。
退職理由の3つの箱と、社長が使える手(例)
| 箱 | 理由の例 | 社長が使える手 |
|---|---|---|
| ① 会社が変えられる条件 | 休日・勤務時間、人間関係、仕事の内容、給料 | 変えられる範囲と時期を、期日つきで示す。できない約束はしない |
| ② 本人の事情 | 家族の介護、自分の体調、家庭の都合 | 休業・時間単位の休み・配置の変更など、辞めずに済む選択肢を並べて見せる |
| ③ すでに決まった転職 | 次の会社の内定がある | 無理に止めない。引き継ぎを整え、戻れる道を伝えて送り出す |
出典:DIALOGによる整理
①は、条件を変えられるかどうかの話です。ここで注意したいのは、その場で給料だけを上げて引き止めることです。理由が人間関係や休日なら、給料を上げても理由は残ります。同じ部署の人との釣り合いも崩れます。
③は、引き止めるほど関係がこじれやすい箱です。気持ちよく送り出せば、出戻りという形で戻る道も残ります。その考え方はアルムナイ採用の記事で扱いました。
これは私の見立てですが、中小企業で一番取りこぼされているのは②の箱だと感じています。①は給料や休みの話なので、社長も話しやすい。③は本人がはっきり言います。②は本人が「迷惑をかけるから」と言葉を飲み込み、会社は「家庭の事情なら仕方ない」と受け取ってしまう。双方が遠慮した結果、使える制度があっても使われないまま退職届が出ます。
ここまでで覚えてほしい1行。引き止めは説得ではなく、理由の仕分けから始まる。
「親の介護で」と言われたら、会社には知らせる義務がある
②の箱のうち、介護には法律で決まった手順があります。
改正育児・介護休業法が、2025年4月に施行されました。介護に直面したと申し出た社員に対して、会社は個別に次のことを知らせなければなりません。あわせて、制度を使うかどうかの意向も確かめます。面談や書面で行い、利用を控えさせるような伝え方は認められていません。
介護を理由に申し出があったとき、会社が個別に知らせること
| 知らせる事項 | 中身(厚生労働省の資料による) |
|---|---|
| 介護休業などの制度 | 介護休業は対象家族1人につき通算93日まで、3回まで分けて取れる。介護休暇は年5日(対象家族2人以上は10日)、時間単位でも取れる。残業の免除(所定外労働の制限)や短時間勤務などの両立支援制度も、知らせる対象に含まれる |
| 申し出の窓口 | 誰に申し出ればよいか(例:総務の担当者) |
| 介護休業給付金 | 雇用保険から、休業開始時の賃金の67%相当が支給される(支給額には上限がある) |
出典:厚生労働省「育児・介護休業法 改正ポイントのご案内」「育児・介護休業法のあらまし」
言い換えると、「介護で辞めます」は、制度を案内する場面の入口でもあります。93日は、介護をずっと担うための休みではありません。介護サービスを手配し、働きながら介護する段取りを整えるための期間です。
介護を理由にした離職は、会社の中核にいる年代で割合が高くなります。令和6年雇用動向調査で、離職理由に占める「介護・看護」の割合を見ます。男性45〜49歳で6.2%、女性55〜59歳で6.7%でした。全体の1.3%と比べると、5倍前後の割合です。
ここで健康経営とつながります。健康経営優良法人2027(中小規模法人部門)の評価項目には「⑥仕事と育児または介護の両立支援の取り組み」があります。「⑧がん等の私病に関する復職・両立支援の取り組み」もあります。どちらも、②の箱の理由で辞めずに済む選択肢を、あらかじめ社内に用意しておく項目です。
用意がない会社では、何が起きるか。説明のための仮定で考えます。40代の現場責任者が「親の介護があるので」と申し出ます。会社は93日の休業も時間単位の休暇も伝えません。短時間勤務や残業の免除も伝えません。本人は、毎日の通院の付き添いと仕事は両立できないと考えます。そして申し出から2週間後に退職します。これは実在の事例ではありません。
その人が抜けた穴は、中途採用で埋めることになります。⑥と⑧を整えておけば、その面談で選択肢を並べられます。さらに、求人票や面接で「介護や治療と両立できる制度がある」と示す材料にもなります。体調を崩した人の戻し方は職場復帰支援の記事で、病気の治療と仕事の両立は両立支援の記事で扱いました。
もし1つだけ持ち帰るなら
次に「辞めます」と言われたら、引き止める前に「何があったか、もう少し聞かせてほしい」と伝えてみていただけたら。理由が②の箱なら、会社にはまだ並べられる選択肢があります。
よくある質問
退職届を受け取らなければ、辞めずに済みますか?
済みません。期間の定めのない雇用では、申し入れから2週間で雇用は終わると民法第627条に定められています。受け取らないことは、関係をこじらせるだけになりかねません。
給料を上げれば引き止められますか?
理由が給料なら、選択肢の一つです。ただ、理由が休日や人間関係なら、給料を上げても理由は残ります。先に理由を聞き、変えられる条件かどうかを確かめてから判断します。
介護の制度を説明すると、かえって休まれて困りませんか?
介護に直面した社員への個別の周知と意向の確認は、2025年4月から会社の義務です。利用を控えさせる伝え方も認められていません。辞めて欠員になるより、休業を経て戻る道を残すほうが、会社の負担は小さいと考えています。
最後に — 人材課題を抱える中小企業の経営者様へ
「辞めます」と言われた日は、会社にとって最後の面談ではありません。理由を聞き直し、3つの箱に分ける。②の箱なら、介護や治療と両立できる選択肢を並べる。その準備は、申し出を受けてからでは間に合いにくいものです。現場の責任者が40〜50代に集まっている会社ほど、早めの準備が効くと考えています。北海道の小さな会社でも、制度の案内文を1枚用意するところから始められます。無料相談では、社内の制度と体制を伺いながら、どの箱の理由に手を打てるかを確認します。